堀の掘削 −築城から廃城まで−

地点(富松城跡第3次調査)で見つかった南北方向に続く堀は、幅約11m、深さ1.5m〜1.7mの規模で、断面はW字形をしています。
 この堀は、E地点(富松城跡第10次調査)でほぼ直角に東に曲がっていること、F地点(富松城跡第14次調査)ではさらに北に続いていることが確認されており、現存する土塁の外周をめぐる堀とは異なり、土塁の内側をめぐる内堀の一部と考えられます。
 従来、富松城は堀と土塁によって防御されていた城と推定されていましたが、内堀が見つかったことにより二重三重の防御施設をもった城であったと推定できました。
 また、富松城の範囲は、従来の推定(約100m四方)よりさらに南に拡大するものと考えられます。
 堀は下層から出土した遺物から15世紀前半頃に掘られたことがわかり、中層、上層と徐々に埋まっていき、富松城の廃城後16世紀後半に一気に埋め立てられました。
 堀から出土した遺物は、土器・瓦・木製品などで、時期的には14世紀の終わり頃から17世紀のはじめ頃までのものがありますが、下層及び中層から出土した15世紀前半から中頃の遺物が大半です。
 なお、土器については皿・椀などの「供膳具」が多く、羽釜・擂鉢などの「調理具」は少なく、また、中国製の白磁・青磁が数点出土していることなどから、堀は城の中心施設に近い位置にあると思われます。
D地点から出土した羽子板等
D地点から出土した羽子板等(堀中層出土)


瓦葺きの建物

松城跡及び東富松遺跡ではこれまで発掘調査4回と確認調査を行いましたが、どの調査区においても瓦がたくさん出土しており、瓦葺の建物が建っていたことがわかります。
 この時代の集落における建物は、草葺きや板葺きの掘立柱建物が一般的で、瓦葺きは寺院、居館などの特別な建物に限られます。
 瓦には丸瓦・平瓦のほか、軒先を飾る軒丸瓦・軒平瓦があります。軒丸瓦はすべて三巴文、軒平瓦は唐草文が大半ですが中心飾りは多少異なっています。また、D地点では建物の棟を飾る鬼瓦が出土しています。
D地点から出土した鬼瓦
D地点から出土した鬼瓦
D地点で見つかった二重の堀の断面図
D地点で見つかったW字形をした堀の断面図

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