国時代が終わり、天下が統一されると、富松城は城としての役目を終え廃城となります。
  土塁が壊され、堀が埋められますが、D地点(富松城跡第3次調査)で見つかった溝2や土坑からは、16世紀の終わり頃から17世紀のはじめ頃の遺物が出土しています。
  また、堀の上層部、最上層部からも同時期の遺物が出土しています。しかし、それ以後江戸時代の遺構がまったく見つかっていないことから、近世のはじめには一帯は農地となり、今日にいたっていると考えられます。
 また、E地点(富松城跡第14次調査)では堀が埋められた後の井戸・土坑・溝などが見つかっていることから、江戸時代の中頃まで宅地として利用されていたと考えられます。
  このように富松城跡は江戸時代になるとその役目を終え、土塁は壊され、堀は埋められて、農地や宅地になっていったと考えられます。
D地点の発掘作業風景
D地点・二重の堀(発掘作業風景)

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