富松城と富松原風景マップができるまで  −井上眞理子(尼崎探訪家・イラストレーター)−

 「日が暮れたら、城壁の方へ向かって行ったらあかん。」
富松の人々は小さい頃から、お年寄りたちにそう聞かされました。
富松城跡にはキツネが住むのか、魔物が潜むのか、それとも中世の武将達の怨念が生きながらえているのか…

 中世の富松城は、近世の城壁のように壮大な石垣や天守閣を持たなかったけれど、富松の村の人々に、土塁跡と数々の言い伝えを残しました。そんな富松城跡と、富松の旧村の原風景マップを描いてみようと思ったのは、地域研究史料館の辻川敦さんのすすめと、何より城跡を守ろうとする人たちのひたむきな姿勢に惹かれるからでした。

 地図はその時代を大正末期から昭和の初期において、古くからの街道や寺院、地主の屋敷、それに村を縫うように流れていた水路などがひと目で分かるようにしました。富松の人たちに、この地図を見ることで昔の風景や言い伝えなどを思い出してもらい、更に地図を膨らませていきたいと思ったからです。中世にいっそく飛びに戻るのではなく、人々の記憶に残る原風景から過去への糸口を探っていく−だからこの地図はまだまだ成長途上であるわけです。
 富松の旧村を歩いてみると、遠い昔から幾多の足に踏みしめられた道がゆるやかにカーブして、道の脇にはかつてどの農村でも見られた水路が目に付きます。円受寺や富松神社がかつては豪族の館跡で、周りには塀や土塁が張り巡らされていたという言い伝えが自然に思い起こされます。
 私はこれらの土塁や塀跡をできるだけ地図に盛り込んでみました。地図を描く上で参考にした江戸期の絵図、明治期の地籍図などには、堀跡をしのばせる水路の流れが鮮明に記されていました。また、昭和二十八年に撮影された航空写真を見ると、明治期の地籍図から偲ばれる村の様子がそのころまでほとんど変わっていないというのも驚きでした。

 昨年十一月に富松神社で開かれた「見直そう尼崎の宝・中世の富松城展」で展示された「富松城と富松原風景マップ」を熱心に見てくださった人たちの中に、樋口玲子さんがおられました。樋口さんからはなつかしい村の様子を聞くことができました。
 樋口さんは大きな庄屋だった塩田家の近くに住んでいて、幼い頃塩田家の娘さんと友達だったことから周辺の様子を鮮明に覚えておられました。
 「家の横には『牛川』という小川があってね、どうしてそう呼ばれるかというと、農家の人たちが一日働いた牛をその川で洗うからあんんです。夏になると夜に蛍がいっぱい群れて、それはきれいでしたよ。」
 樋口さんのお話を聞くうち、私の目の前に富松の原風景がまざまざと甦ってきました。消えてしまった水路や田園風景も地籍図と照らし合わせることでもたどることはできるけど、私は、古くから富松に住む人たちの記憶の中にこそ大きな手がかりが隠されていることを知ったのです。